
ベトナムでボランティア活動をしている眼科医の話。
感動しっぱなし。
親子愛あり、師弟愛あり、夫婦愛、友情あり。いろんな愛で涙がでる。
電車に乗っていても、お構いなしに目に涙がにじんでくる。
ほんとに熱い人との出会い。今どき、部下の眼鏡がぐちゃぐちゃに壊れるぐらい殴れる上司がいるか?今どき、土下座できる人がいるか?
真心、人のあるべき姿、信念を歪めることなく貫く姿勢、、、いろいろなことを考えさせられる。
はっちゃん(=服部先生)は、以前紹介した、大昔のウインド仲間。
私の家と、服部先生の下宿先が近かったので、良く、自転車で、遊びに行った。
昔から、型破りだった。下宿は2室間借りし、一部屋はプライベート、一部屋は、パイプ椅子や机、ホワイトボードまで持ち込んで、塾をしていた。
また、浜松のウインドサーフィンのクラブハウスの会員になるのに、僕らは冬しか来ないから、1年分の会費で、2年有効にしてくれと交渉。
ウインド仲間と一緒に行動していても、いつもなんだか違うことを、していたような気がする。
私の父の、癌の手術当日、服部先生は、病室から手術室まで一緒に付き添ってくれ、私達を励ましてくれた。その時は、彼はまだ、6回生。その時から、すでに温かい、ハートのある医師であった。
服部先生はウインドサーフィンができる、眼科を選んだ。
服部先生のお母さんは、眼科に進むことは、反対されたらしい。消化器外科に進むと思っていたからだ。
私の母に、服部先生が眼科に進むことを告げると、眼科か、、、と、少し残念そうにつぶやいた。
その後、はっと、気が付いたように、、、眼科は、失明する人を助けることが出来る重要な科。きっと服部先生は、眼科で活躍すると思うわ。
ほんとにそうなった。
服部先生は、月の半分、日本で日本での生活費、ベトナムでの生活費、手術に必要な器具を買うための資金、渡航費、そして、手術費が払えない患者さんへの立替払い用の資金を稼ぎ、ベトナムへ行く。服部先生の技術なら、1億円は稼げるのに、年収は、500万円ほど。お金じゃない。目の前に失明する患者がいれば、助けずにはいられない。お金が払えなくて、返ろうとする患者には、待ってくれ。手術費は要らないから(自分が立て替えるから)、、、といって、引き止める。術後、ガーゼを取ったときに、患者さんが見せる笑顔や、親のうれしそうな顔が、このボランティアを続けさせていると言う。
心が洗われる本だった。失敗も無く進んだ人生であれば、ふーん、、、ですんだと思うけど、いじめられたり、父親を亡くしたり、医学部に入るために4浪したり、壁にぶち当たってばかりだから、本当におもしろい。
自分にも何かすることができるかも?と思える本。
スポンサーサイト
目の手術をした少年がしばらく経ってから元気に遊んでいると聞いた時、本当にうれしそうな顔をされていたのが印象的でした。
世界中で活躍する人を見聞きする度に、すごいな~、私もできたらな~と思います。
いかんせん、私にはそんな知識や技術も無いのであきらめることになるのですが…
世界中の何千人もの人を救うことは出来ませんが、近所に住む何人かの人が私を求めてくれているということを大切にしたいと思います。